mojuniの日記

猫イラストレーターmojuniが遂に手に入れたキャンプの様な山暮らし、時々イラスト

阪神淡路大震災の記憶

元日、恐ろしい大災害に遭われた皆様へ心よりお見舞い申し上げます。亡くなられた皆様のご冥福をお祈り致します。

 

過去ブログで何度か繰り返し書いた内容ですが。

29年前、大阪で人生最大の大災害に遭遇した私は、もしかしたらこの時即死していたところでした。今生きているのは本当に奇跡です。

堂島川沿いのマンションで3匹の猫を飼っていました。今と同じく何時に起きて何時に寝るか、全く成り行き次第の生活でしたが、その前の夜は珍しく0時過ぎ頃にちゃんと寝床で就寝したのです。シェフは隣の部屋で起きていた。

そしたら2時頃、当時7才位のシャムの混じった女の子、ラックちゃん(タイ語で「愛する」と言う意味)が突然ニャーニャー鳴いて私を起こし、外へ散歩に連れて行けとせがむのです。そんなことは後にも先にもこの時だけ。幸いにもしっかり覚醒した私は起き上がって、ラックちゃんの要求通り、首輪と散歩ヒモをつけてマンションの周りを暫く散歩させました。部屋へ帰ってからも幸いなことにすぐまた寝てしまうことなくシェフの部屋へ行き、5時頃2人で当時時々日課にしていた早朝体操をしに近くの空き地へ。そこで地震が発生。

シェフはこの時「大阪沈没や」と思う程の激しい揺れを感じたと言いますが、実は何故か私は揺れは殆ど感じなかった、少なくとも地震の恐怖を感じた記憶はありません。

最初に気付いた異変は揺れではなく「音」。突然何十台ものダンプカーの隊列がやって来たのか、はたまた周辺のビル群のシャッターが一斉に上がり始めたのか、と言う様な轟音。思わず発したのが「何よ、これ!?」そして空き地の真ん中で思わず抱き合って呆然と立ちつくしていると、次の瞬間、目に入ったのは遠くの山並み(今思うに神戸の方向)から空へ向かってオーロラの様に立ちのぼる稲妻、ピカーッピカーッと何度も何度も地上から空へと駆け上る稲妻の珍しさに恐怖は全く感じず、ただただ驚きで目を見張っていました。この時反対方向を向いていたシェフは稲妻は見なかったそう。「地震や!」とシェフが言って、私もやっと揺れを感じました。が、恐ろしいと言う程ではなかった。さっきの異常な轟音と稲妻のインパクトで頭がいっぱいだったからでしょう。とにかく恐怖を感じずに揺れをやり過ごせたのは幸いでした。足取りも精神状態も平常を保っていられました。

周りの高層ビル群から非常ベルの音が鳴り響く中、マンションへ帰ると建物は無事でしたが水道管が破裂してパイプスペースから漏水、部屋のドアは中から物が倒れて来て開かず。何とか押し開けて中へ入り猫たちの無事を確認。3匹とも無事。部屋の中の被害は、、、と言っても元からめちゃくちゃ乱雑な部屋なのですが、水切り棚が落ちて食器が割れていたり、20インチのTVがぶっ飛んでいたり、そこそこの被害がありました。

そしてふと目線を下げると、そこには血も凍る様な光景が。ラックちゃんが起こしてくれるまで私が寝ていた寝床の枕の、丁度真ん中に、上から落ちて来た硬くて重い木製のワイシャツ入れの箱が、よりによって角が突き刺さる状態で落下しているではありませんか!

ラックちゃんが起こしてくれなかったら、そして私も運良くパッと目が覚めなかったら、散歩から帰ってまた寝ていたら、、、この枕の上に私の眉間があったのです。

それから何年後のことか今となっては記録がありませんが、命の恩人ラックちゃんは白血病で亡くなりました。実家の裏庭に捨てられた子猫で、当時マンション暮らしでおいそれと拾って帰る訳にもいかず、食べ物だけは与えて誰かが拾ってくれないかと5日5晩泣き続けるのを心を鬼にして放置、とうとうたまりかねて大阪へ帰る日に収容した子でした。その時拾ったのは自分の命だったのだ。