mojuniの日記

猫イラストレーターmojuniが遂に手に入れたキャンプの様な山暮らし、時々イラスト

阪神大震災の思い出

前に何度も書きましたが、阪神大震災で猫のお蔭で九死に一生を得た私です。もう一度思い出して一から書いてみます。

大阪のマンションに住んでいて、その晩2時頃に一旦横になったのですが、暫くして飼い猫で夜な夜なマンションの周りを散歩させていた子が鳴くので、じゃ散歩に連れて行くかと3時過ぎか4時過ぎか、外に連れ出して一回りして帰宅。(当時はまだ治安もよく、女性一人で歩いても今ほど不安は感じませんでした)
隣の部屋を覗いて見ると、その時シェフも書類整理などをして起きていて、その後暫くして一緒に近くの空き地まで体操のようなことをしに出かけたのです。

空は少し白んで来たかなという時刻、空き地の真ん中で二人向かい合って体操を始めた時、ゴーッというかガラガラというか、周りのビルが一斉にシャッターを開け始めたのか、はたまた何台ものダンプカーが向かって来るのかというような音がして、私の口から出たのは「何よ、これ」というセリフ。この言葉はいまだにシェフが時々思い出して話題になります。
地震や!!」と先に気がついたのはシェフ。私はと言うと実は最初から最後まで、揺れそのものはそんなに大きいとは感じませんでした。ただ、思わず抱き合ったシェフの肩越しに見えた後から思えば神戸の方角の山の稜線がピカピカッと発光しているのに目を見張っていました。

津波が来る、日本沈没だ」と思ったというシェフは一目散にマンションへ走り戻り、そんなに揺れたと感じなかったので緊迫感のなかった私は地面に置いた荷物などを拾い集めてボチボチ歩いて帰りました。(何で私を置いて自分だけ走ったんだ?)

周りのビルの警報が鳴り響き、マンションは水道管が破裂して各階で漏水中。シェフが2階の元栓のバルブを閉めたので被害は最小限で食い止められました。自宅の部屋のドアは中から倒れかかったものでなかなか開かず、何とか入って見るとテレビはぶっ飛び台所の茶碗は割れ...部屋は2階なんですがこの被害。中には3匹の猫たちがいたのですが、さぞかし恐ろしかったことと思います。
シェフが言うのですが、あの時人間も中にいたらPTSDになっていただろうと思います。

私の寝床の枕の真ん中には上から落ちてきた硬くて重い木製のYシャツ整理箱の、よりによってその角が突き刺さっていました。もしあのまま寝ていたら...明け方最も眠りが深くなるタイプの私は即死でした。
思えばこのこと一つとってみても、猫には一生返し続けても終わらない大恩が...

それにしても寝室の頭の上には何も置いてはいけません!!これも小学校で教えねば!!来るべき大地震に備えてサバイバル科という授業が必要ですね。

散歩をせがんだその子は、やはりうちに捨てて行かれたシャムの雑種の女の子で、「キレイ、可愛い、賢い」の3K。(危険、汚い、キツイの3Kをもじって)大好きなシャム系ということもあり、甘えん坊で神経質、とっても手がかかる子でしたが一番可愛がっていた子です。地震から3年ほどして白血病のため亡くなりました。享年9歳でした。当時白血病という病気もあまり知らず、ワクチンがすでにあったのかどうかも定かではありませんが、どちらにしても猫にワクチンをという意識が私にはなかった時代でした。後から拾った子がウイルス感染していたのがうつったと思われます。その子を含め当時飼っていた6匹の内、4匹が一年以内に相次いで死んでしまいました。白血病の伝染力は怖いです。