mojuniの日記

猫イラストレーターmojuniが遂に手に入れたキャンプの様な山暮らし、時々イラスト

記念日……

去年の2月の何日かに飼い猫が1匹交通事故で死んだのでした。それが何日だったのか、最近まで覚えて居たのですが、今思い出せません。もう過ぎたと思います。デスクトップにあるカレンダを見れば書いてあるのですが見て確認しようとは思いません。

今まで不思議と家族の誕生日など私にとって意味のある日によく捨て猫を拾いました。そんな日でなくても今いる猫たちを拾った日時はみな覚えて居ます。命日もこれも不思議に家族の誕生月の、別の家族の月命日とかの理由でよく覚えています、或いは「いました」。

ペットロスなどに陥るヒマもないくらい大勢の手のかかる猫がいるのですが、その子の死の悲しみは2ヶ月近くも思い出しては涙がにじむほどでした。何故なら夫が留守中で、そのことは帰ってきてから直接話そうと決めたのですが、結果としてずいぶん長い間留守が続いたので、その間私一人の胸に秘めていなければならなかったからです。電話は何度もしましたが、向こうから「猫は元気か」というようなことを聞かれなかったのでこちらからは言いませんでした。相手もたった一人の部屋で、それを知った後、絶対泣くだろうと思うと、可哀想で教えるわけにはいかなかったのです。

その子が帰らなかった寒い夜、私はいつものように猫絵を描きながら明け方まで起きていて、何度か表へ探しに出ました。かじかむ指でペンを握っていると、突然右手の親指の付け根に今まで経験したことのない嫌な痛みを感じました。しかもジンジンと起きている間中続いたのです。その時は寒さのせいだと思い別段不吉には感じなかったのですが、後で考えるとそれが事故の起こった時刻だったのかも知れません。

執着をなくすことが仏教の悟りには不可欠だと言いますが、猫のこのような死を可哀想だと思わなくなる日が来るはずもありません。しかしこれは猫を自分の所有物、もしくは守ってやらねばならない存在だと考えるからこそで、人間も猫も天の定めのもとにそれぞれの命を生きていると思えば、どちらがどちらに同情するとか憐れむとかいう筋合いはないのかも知れません。ただ限られた命の時間を共にすることができ、持てる限りの真心を与えることができたことを感謝するのみです。